Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2026/06/15 第818号
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今週の目次
○「はじめに」
○「ツールに引く切断線」
○「経験のコンフルエンス」
○「Notebook LMに作業記録を手渡しやすくする」
○「おわりに」
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○「はじめに」
以下の記事を書いたとき、ちょっとしたメモを作りました。
◇談 | R-style
https://rashita.net/blog/?%E8%AB%87
いや、その言い方は適切ではないですね。それだと「記事でも書こうかな〜→メモを作ろう!」というステップが想像されますが、そういうわけではなく、むしろメモを作っているうちに、記事を書こうかなと思ったのが実際のステップです。
で、その「メモ」をアップしてみました。
◇「談」を書くときに使ったメモ | 倉下忠憲の発想工房
https://scrapbox.io/rashitamemo/%E3%80%8C%E8%AB%87%E3%80%8D%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A1%E3%83%A2
WorkFlowyのメモです。このメモを肉付けし、並び替えてあの記事にした、のではありません。そうではなく、こういうメモを作ったのち、テキストエディタを立ち上げて、ほぼメモは見ずに文章を頭から書き下ろしたのです。
もちろん、WorkFlowy上で肉付けし、並び替えて文章のプロセッシングを進めていくことはできます。でも、だからといってそれをしなければいけない、という規約はこの世界のどこにも存在していません。
WorkFlowyを使って文章を書くメソッドを目にし、自分もWorkFlowyを使っていると、「その通りにやる」のが適切で、そうでない場合は「間違っている」感じを受けやすいものですが、そういうのはほんとうにどうでもよい話で、自分が書けているかどうかこそが本命本丸に気にすべきポイントです。
でもって、書けていればそれでいいのです。
これはたぶん現象学的な視点に近いでしょう。「私」と「道具」と「テーマ」が構成する場の現象として執筆を捉えること。それぞれの執筆は、一度きりに生成される何かで、他の執筆と比べてどう、みたいな話はあまり意味がありません。
いや、話を大げさにしているのは理解しているのです。でも、簡単な話としてまとめてしまうのも違うだろうと感じています。
〜〜〜フォント〜〜〜
以前紹介した、withというテキストエディタには、いくつかモードがあって、それぞれ役割が違っています。
◇with | Taiyo Fujii, writing
https://taiyolab.com/ja/with/
たとえば、「テキスト編集」は書かれたテキストがそのまま表示され、「ライブ編集」はマークダウン記法が変換された状態で編集できます。「原稿プレビュー」は同じく変換されて行間などがちょっと変わりますが、編集はいっさい行えません。
ここで面白いのがフォントです。「テキスト編集」ではゴシックで、「ライブ編集」では明朝に変わります。この点は、「原稿」を意識しているエディタならばまっとうな選択でしょう(紙の本はだいたい明朝です)。