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「聖地学講座」
vol.321
2025年11月6日号
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◆今回の内容
○夢見の聖地とオオナムチの暗号
・夢殿と長谷寺
・オオナムチ=オオクニヌシの意味するもの
・夢買いと代参
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夢見の聖地とオオナムチの暗号
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前回は、還暦が擬死再生の意味を持つ人生の節目であり、奥三河では花祭りの還暦の儀礼で、還暦を迎えた人たちが堂に籠もって一夜を過ごすという話を書きました。
じつは、「堂に籠もる」儀式は、他にもあります。それは、「夢見」の儀式です。これも異界と接触するための儀式で、擬死再生に非常に近い意味を持っていました。
今回は、古代から中世にかけて、頻繁に行われたそんな「夢見」の儀式と聖地との関係とともに、神話や説話を例にあげて、そうした発想をもたらした様々な条件について深堀りしてみたいと思います。
●夢殿と長谷寺●
堂に籠もって夢を見るという儀式ですぐに思い浮かぶのは、法隆寺の夢殿です。「夢殿」という名は、聖徳太子が堂に籠もって重要な夢を見たことに由来すると伝えられています。『聖徳太子伝暦』に次のような話が出てきます。
「聖徳太子が、『法華経』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『維摩経(ゆいまきょう)』の三つの経典の解説書である『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』を執筆していたとき、どうしても解釈できない難解な箇所に突き当たった。いくら考えても解決できないので、太子は斑鳩宮にあった持仏堂に籠もって瞑想に入った。
すると、夢の中に金人(仏)が現れ、太子の疑問に答え、経典の正しい解釈を授けてくれた。太子は夢から覚めると、金人から得た啓示をもとに注釈書を書き進めることができた」
こうして、夢の中で金人に教えを受けたお堂であることから、「夢殿」という名が付けられたというのです。
また、『今昔物語集』にも次のような逸話が記されています。
「ある時、聖徳太子は夢殿に七日七夜にわたって籠もり、まったく出てこなかった。周囲の人々が心配していると、太子の師であった高句麗の僧恵慈が、<太子は深い瞑想に入っておられるだけだ。おそらく前世の因縁に関わることをしておられるのだろう>と言って、人々を制した。
七日後、太子が夢殿から出てきたとき、その手には一巻の経典(法華経)が握られていた。
太子が言うには、<私の前世は、中国の衡山(こうざん)という山で修行をしていた僧であった。その時に所持していた経典が今も残っているはずだ>という考えが浮かび、この瞑想の間に、魂を中国の衡山まで飛ばし、前世の自分が持っていたその経典を自ら取って戻ってきたのだと語った」
太子の住まいであった斑鳩宮は、太子没後の皇極天皇二年(643)、蘇我入鹿の軍に襲われて宮殿は焼かれ、その子山背大兄をはじめ王家一族は辛うじて生駒山に逃げ落ちましたが、後にことごとく自刃しました。
その後百年あまりの間、荒れるにまかされていましたが、天平年間に僧行信らの手で再建されました。これが今の法隆寺東院で、霊異記はこれを大和国斑鳩聖徳王宮と呼んでいます。そして、その一角に設けられたのが夢殿です。
夢殿の名の由来を記した『聖徳太子伝暦』も平安時代に成立したものなので、太子が生きていた時代に夢殿と呼ばれていたかどうかは、定かではありません。
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