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武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』
(2025.7.30号)
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《今週の目次》
■武田邦彦のメルマガ集中講座
『2025年参議院議員選挙の考察 野党は何を訴えたか?』
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『2025年参議院議員選挙の考察 野党は何を訴えたか?』
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選挙があったら必ずそれを総括し、よく考えてみなければならない。それは、
民主主義における国民の義務でないかと著者は思っている。なぜかと言うと、
もともと、民主というのは、王様が支配する王制の社会から、国民が代わりに
王様になって政治を行う制度だからである。
つまり、民主主義というのは国民が王様の立場になり、王様の責任感を持って
よく考え、そしてその国の方針を決める責任があるということである。しかし
それは可能だろうか。このことは、民主主義が、世界的に支配的な政治体制に
なったフランスの革命以来の懸案事項である。
国家は国民で成立してるのだから、もちろん主体者は国民であり、国民がその
責任において国家を運営しなければならないという理由は至極、当然のように
見える。しかし国民は生活するために、毎日忙しく、かつ国を運営するほどの
知識も決意もないのが普通である。したがって、国民の考えはいい加減であり、
かつ十分な時間もなく、さらに決意もないと考えるべきだろう。
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