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【痛くない死に方 2025年第28号】袴田事件、和歌山カレー事件… なぜ長尾は「冤罪」に怒りを燃やす?

長尾和宏の「痛くない死に方」
  • 2025/07/19
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2025年 第28号  【長尾和宏の痛くない死に方】 こんにちは。長尾和宏です。 うだるように暑い日ですね…投票締め切りまであと数時間ですが、選挙には行きましたか? 明日の朝にはもしかすると、日本が大きく変わるかもしれない大事な選挙です。 「投票したい人がいないから、行かない」というのは、気持ちがわからなくはないけれどやっぱり間違い。 選挙権。これが僕ら国民が政治に参加できる一番の方法であり、投票しないということはつまり、「現状の政治に満足している」ということに意思表示にもなってしまいます。 現状の政治に満足している人なんて、少なくとも僕のメルマガ読者の中には、ひとりもいないよね?  日本では、選挙のたびに決まって話題になるのが「投票率の低さ」です。 特に若い世代の投票率は低く、最近は高齢者層でも棄権が増えています。しかし、少しだけ立ち止まって考えてみませんか。「選挙権」が私たちに与えられるまで、どれだけの歴史と努力があったのか。 そして、世界では、投票する権利がどれだけ尊いものとして扱われているのかを——。 世界から見た「日本の投票率の低さ」 たとえば、前回の参議院選挙(2022年)の投票率は52.05%。国政選挙で50%台というのは、民主主義国家としては決して誇れる数字ではありません。 世界と比較してみましょう。 国際機関の統計(IDEAの世界選挙データベースなど)によれば、北欧諸国では投票率が80%を超えることも珍しくありません。スウェーデンは約80%、デンマークも85%前後です。ドイツ、フランスでも概ね70%前後が続いています。アメリカは50%台のこともありますが、大統領選挙になると60%以上にはなります。 これと比べると、日本の投票率の低さは顕著です。 なぜ、日本では投票率が低いのか? いくつか理由が考えられます。まずは「政治への無関心」。特に若い世代では「誰がやっても同じ」「政治が変わる実感がない」と感じる人が多いと言われます。しかし、これは逆説的に言えば「投票しないから政治が変わらない」とも言えるのです。 でも、たとえば「ワクチン問題」にすごく関心があるのに、政治に関心がないというのは、矛盾しています。 僕は一昨年、「政治とワクチン」というタイトルの本を出しました。 ワクチン問題というのは、医療者が何かを決定できることではなく、あくまでも政治の問題なのです。 それなのに医者たちが政治と結託して大衆を扇動し打たせた。僕には、それがどうしても許せません! 二つ目は、日本人がむちゃくちゃ忙しすぎる、ということ。僕も現役の町医者時代は、急なお看取りがあったりすると、なかなか行く事がかなわなかった。フーテンになって、ようやくちゃんと投票できるようになったのが正直なところです。 また、地方によっては、高齢者にとって投票自体が高い壁になることも。 投票が遠かったり、投票方法が煩雑だったり、という物理的な障壁もあります。は期日前投票や不在者投票を理解していない高齢者も多いのではないか? 以前、ある介護施設グループでは、認知症の利用者の投票権をすべて支持政党に入れるように仕向けている光景を目にしたこともありました。認知症の施設暮らしの人の選挙権の行方が何処に行っているのか…これをちゃんと調べてくれるメディアがあればいいのに、とも思います。 三つ目は「政治自体への信頼感の低さ」でしょうね。 政治家の汚職や不祥事が続き、「どうせ政治家は私たちのことなんて考えていない」と思い込んでしまう空気も、投票率低下の一因でしょう。しかし、与党自民への不信感=政治への不信感となって投票に行かないのは、先も述べた通り、矛盾した行為となります。 読者の皆さんの親世代には、戦後間もない時代に初めて選挙に行って投票した、という思い出がある方もいらっしゃるかもしれません。 日本で初めて「普通選挙法」が成立したのは、いつのことか知っていますか? 1925年のことです。 つまり今年で丸百年。いま当たり前のように成人した日本国民は誰もが選挙権を持っていますが、こんの普通選挙が認められるまでには長い歴史がありました。1925年に普通選挙法が成立し、ようやくすべての25歳以上の男性に投票権が与えられました。 それまでの日本の選挙は、ごく一部の「お金持ち」の男性だけが投票できる「制限選挙」でした。明治時代は納税額が高い人だけが選挙に行けたのです。しかし、日露戦争の後、国民の間では「税金は取るのに、選挙権は与えないのか」と不満が高まりました。 第一次世界大戦後には「民本主義(国民本位の政治)」の考えが広がり、普通選挙を求める運動が全国で盛んになります。労働運動や学生運動も後押しし、ついに1925年、納税額の制限が撤廃され、全国の男子が平等に一票を持てるようになったのです。 しかしこのとき、女性には与えられませんでした。このときの悔しさを、女性婦人運動家だった市川房江さんは日記にこう書いています。 「私はこの日を、女性から参政権が奪われた日として永久に記憶しておこう」 この後、市川さんを中心として、婦人参政権運動が高まります。しかし、なかなか認めあれることがなく、我が国において女性が選挙に行けるようになったのは、それから20年もあとの1945年。敗戦後、GHQの指導により、ようやく叶ったという経過があります。

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  • 長尾和宏の「痛くない死に方」
  • 本邦初!100パーセント「死」のことについて語るメルマガ。2000人以上を看取った医師であり、日本尊厳死協会副理事として、日々「死」と向き合う医師と一緒に、死に方について考えませんか? 家族の死と向き合わなければならない人、大切な人が死んで、喪失感から抜け出せない人、今、どうしようもなく「死にたい」人も……あなたのこころに届くメッセージが満載です。
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