このボー・イン・ラーの『あの世についての書』を紹介していた
リチャード・C・クック氏は、序文(原文では毎回載っています)に、
以下のように書いています。
リチャード・C・クック氏の序文
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本書は人間の死後の世界を主題としている。
本書をボー・イン・ラーの全著作の中から選んだのは、
現代社会において、災難と機会の両方に直面し、
人間存在の根本的な意味について深く考えさせられる人々が、
本書に強い関心を示しているからだ。
次のことを認めない限り、この課題に取り組むことはできない。
a) 私たちは、人間の体となって地球上の生命体となる前に、
どこから来たのか実際には知らない。
b) 死が必然的にこの地上の旅を終えるとき、私たちがどこへ運ばれるのか、
あるいは私たちの継続的な経験の性質がどのようなものになるのか、
私たちは実際には知らない。
c) 私たちがなぜここにいるのか、あるいは生涯を通じて
時間とエネルギーを費やすべき目的について正確な知識が欠けている。
https://indeep.jp/bo-yin-ra-said-so/
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ここまでです。
ここに「私たちがどこへ運ばれるのか」とありますが、
実際のところは、「運ばれない」みたいなんですね。
これについては、ボー・イン・ラーもルドルフ・シュタイナーも、
あるいは詩人イェイツなんかも、ある程度同じニュアンスのことを
述べていると私は認識しています。
以下は、シュタイナーの 1915年の著作からです。
日本では『天地の未来 - 地震・火山・戦争』に収められています。
https://amzn.to/408IUVp
『天地の未来』より
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長年おこなってきた一般的な考察から、
「ここに物質的・感覚的世界があり、ここから離れて霊的世界がある」
と言ってはならないことを、私たちは知っています。
物質的・感覚的世界は神霊世界に達しており、
神霊世界は物質的・感覚的世界のなかに入り込んでいます。
人間の五感は物質的・感覚的世界のなかに感覚存在のみを見ますが、
空気が広がっているように、いたるところに霊が広がり、
人間が物質生活においては通常の感覚でしか見えないものすべてに
霊が波打っています。
死の扉を通過して霊的世界にいたった者たちの衝動と力が、
感覚界のなかに入り込んでいます。
肉体のなかに生きる者と霊のなかに生きる死者とを結びつける絆は、
通常の意識の背後にあるとしても、現実的なものです。
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ここまでです。
生きているときのカツオは刺身がおいしいですが、
死んで乾燥したあとの鰹節もまた役割の異なる美味の分担を担う、
という感じでしょうか(違う)。
ともかく、生きていても死んでも、「いる場所は変わらない」と解釈できます。
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