池田清彦のやせ我慢日記
/ 2025年5月23日発行 /Vol.288
INDEX
【1】やせ我慢日記~陰謀論について~
【2】生物学もの知り帖~ムカシトンボとムカシヤンマ~
【3】Q&A
【4】お知らせ
『陰謀論について』
今回は、前回の続きで陰謀論の話をしよう。ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク』(河出書房新社)に次のような記述がある。「サピエンスが世界を征服したのは、情報を現実の正確な地図に変える才能があるからではなかった。成功の秘訣はむしろ、情報を利用して大勢の人を結びつける才能があるからだ。不幸にも、この能力は嘘や誤りや空想を信じることと分かち難く結びついている場合が多い」(53ページ)。重要なのは、情報の当否ではなく、単純でわかりやすいものほど人々を結びつける力が強いことだ。
ヨーロッパ近世で起きた最悪の陰謀説は、主に15世紀から17世紀に流行った、不作や病気の原因はサタンに率いられた魔女たちによって引き起こされたというものだ。魔女に関する膨大な情報が流布され(もちろん全部出鱈目だったのだけれども)、当時猛威を振るった地球寒冷化による飢饉や病気に苦しむ人々は、この情報を真実と信じて共有し、魔女狩りに熱狂した。一説によれば50万人近くの人が魔女とされて処刑されたと言われている。この陰謀説を支えたのは人々の恐怖心と、サタンに対する怒りと、正義のためならば残虐な行為もまた楽しいという、多くの人々の心性に潜む魔性である。恐らく、現代人の心性もさして変わっていないと思う。
科学が確立するまで、人々が信じている情報には確実性も多様性もなかった。多くの人は宗教を信じていたが、宗教を信じるという意味は、宗教の聖典に書かれている物語を信じることであり、物語の確実性や真理性に疑義を差し込むことは許されず、背教者として処刑される恐れもあった。イエス・キリスト(実在しなかったという説もあるが)は少数の信奉者を持つだけの片田舎のユダヤ教の伝道者にすぎなかったが、「マタイ伝」(新約聖書の一部)によって「神の子」に祭り上げられ、これを否定することはキリスト教の信者にとってはタブーであった。
宗教は科学と違って「自己修正メカニズム」がなく、教義は無謬であると主張する。「旧約聖書」には創造の6日間という話があり、1日目には光と闇が、2日目には空と水が、3日目には地と海と草木が、4日目には天体が、5日目には水中の生き物と鳥が、6日目には陸上の動物と人間が、それぞれ神によって創られ、7日目には神は創造の業を終え、安息した、という記述がある。週7日で7日目は安息日(日曜日)なのはここからきているわけだ。
キリスト教原理主義者は別として、科学的事実に反するこの話を今は多くのキリスト教の信者は信じていないと思うが、科学的事実によって実証も反証もされない教義は信じているはずだ。その最たるものは神の存在である。一神教の宗教では神の存在は絶対的な真理で、敬虔な信者にとってこれを否定することは許されない。だから、異なる神を信じているユダヤ教徒やイスラム教徒の間で抗争が起きると、妥協点がないので、どうしても激しくなる。
前回でも書いたように19世紀後半に、制度化された科学が勃興すると、エビデンスに基づかない言明は正しいものとは認められなくなってくる。魔女に関する膨大な情報は、噂と伝聞と妄想で構成されており、エビデンスを持たず、再現可能でもなかったので、人々が科学を信じるようになると、急速に見捨てられて、19世紀の後半までには消滅してしまった。
単純でわかりやすい情報ほど、多くの人々を結びつけるという話をしたが、科学の理論は一般の人々にとっては、決して単純でもわかりやすくもない。ではなぜ、19世紀の後半以降、多くの人々は科学を信じるようになっていったのか。それは、科学理論に基づいて作られた道具や薬が人々の生活にとってものすごく役に立ったからだ。鉄道や自動車、電気製品、医療機器、抗生物質などなど、挙げればきりがない。かくして、20世紀の後半まで、人々と科学(技術)の蜜月時代は続いたのである。
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