今、5月12日の23時30分を過ぎた。
もう間もなく13日になる。いよいよ定期配信の準備をしなければならないと、私は自分のパソコンに向かう。
私のパソコンはデスクトップだ。VAIOのデスクトップはもう生産されていないから、ものすごく大事に使っている。
行きつけのSONYショップ、アンド―電気のタカハシさんに、定期的にメンテナンスをお願いしながら、大事に使っている。
ああ、このデスクトップが寿命を迎えてしまったらどうしよう。まあ、その時は、ノートパソコンを使うしかないのだけれども、それでも私は愛着のあるこのデスクトップをずっと使い続けたいのだ。
おっと、のっけから話がズレた。
実は私は悩んでいた。最近の激動に、悩んでいたのだ。
いや、激動はいいのだ。そんなこと今に始まったことじゃない。
私の人生や暮らしは常に激動で、まあ「激」ほどではなくても、微動の時もあるけれど、それでも世間的に言えばけっこう激しく動く人生だと思う。
それは私自身がトラブルを起こすのではなく、なんというか、「この世の続きの物語」(以下、「このつづ」)に書かれていたように「マルハツ」だからなのだろうか。
マルハツとは、「このつづ」に出てくる世にも奇妙なばあさん「包丁お松」の造語であろうが、どうも「事件や厄介ごとの第一発見者」を指す言葉らしい。
それにしても、なぜに私が、オットの死んだ祖母である「包丁お松」にこれほどまでにこき使われなければならないのか。
包丁お松よ、一体私に何のうらみがあるんだ、こんなに可愛い義理の孫娘を、と思うが、そんな文句をたれるとまた馬車馬のように働かされるから、もう余計なことは言わない。
くそ、あのちょっとだけ鬼ババアめ。いや、いいんだけれど。かわいい人なのだけれど、そのくらいは言わせてもらいたい。
とにもかくにも、この春の慌ただしさと緊迫感と言ったらハンパではなかった。
それを3月、4月、そして5月と、凄まじい慌ただしさが私を駆け抜けていった。
駆け抜けて軽トラ……まるで、オットの父と牛糞を運んだ日々が蘇るかのようだ。
何が悲しくて、牛糞を運んでいたんだか今となってはよくわからない(畑の飼料よ~)。
しかしまあ、嫁に来たばかりの、そしてまだ若かりし乙女の、ついでにこんなに微女(しつこいようだが、微妙な女ことを指す私の造語である)の私をオンボロの軽トラに乗せて、牛のウンチョスを買いに行く舅も、世にはなかなかいないだろう。
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