喜多川泰のLeader’s Village Vol.158号です。
たいていの人にとって幸せや自信というのはとても相対的なものです。
「周りの誰かと比べて自分の方がどうか」
という基準で物事を考えたとき、他の人よりも早く、多くを手にすることができていれば、自信が持て、幸せを感じることができる。
みんなが当たり前のようにそう考えている。
学生に、同期入社の全員が月に25万円しかもらえない中、自分は30万円もらえるA社と、自分は35万円もらえるが、同期の全員が40万円もらっているB社のどちらに就職したいかを尋ねると、多くの学生はA社を選ぶだろう。
大切なのは「給料が多いこと」ではない。「周りと比べて多いこと」だ。
ちなみにA社の30万円は、同じ会社の同期だけでなく、他の会社に就職する他の学生と比べても決して少ないわけではない。だからこそA社を選べるという事情もある。これが社内の同期よりも多いけど、他の友人と比べると少ない額であれば、考えが変わるかも知れない。
比べる相手は同級生や兄弟姉妹、友人、会社の同僚など、自分の近くで生きている誰か。
「遠い国の若者はみんな君の何倍も働いて、君の半分ももらえないんだよ」
なんて言われても特に自信が持てるわけでも幸せを感じるわけでもない。
とにかく自分の目が届く範囲内で、誰かと比べたときに、多くもらっている、多くを持っている、成功しているのであれば、優越感に浸れるし、幸せだし、心穏やかでいられるが、知ってる誰かが、もうすごく儲かってるとか、すごい車や家を持ってるとか、大きな会社を作って成功したという話を聞くと劣等感にさいなまれ、心穏やかではいられなくなる。
学生時代の友人などは、そのうち疎遠になってお互い連絡を取り合わなくなれば比べることもしなくなるけど、その時にはまた自分の近くにいる誰かと比べて「自信」と「幸せ」を感じようとする。
収入面だけでなく、容姿や生き方、持っているもの、場合によっては子どもの成績や進学先まで、誰かと比べることで自信や幸せを得ようとする生き方を続けていると、人生は常に苦悩と煩悶の連続になってしまう。
実際にはスタート地点もゴール地点も距離も目的も違う人生を走っているようなものだから、誰かと比べること自体全く意味がないことなんだけどね。それでも人はどうしても他者と比べてしまうもの。
「人は人、自分は自分だから、誰かと比べることをやめましょう」
と言われると、
「そうだなぁ」
とは思えても、
「もう、比べるのはやめます」
というのは難しい。比べる相手が近くにいなくならない限り簡単ではない。
「わかるとできる」
は全く違うことなのだ。
それこそ、同じ会社の同期が昇進したとか、同じ部署内の後輩の方が先に出世したとか、キャリアの浅い新人に営業成績で抜かれたとか、同じ組織の中でいつも顔を合わせなければいけない人が比較対象となる中で、
「他人と比べない」
「誰かと比べることが不幸の始まりです」
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