前号では、キリスト教でいうところの『罪』とは何か?というテーマを探求しました。
そしてキリスト教の聖書に出てくる「罪」とはギリシャ語で「ハマルティア」で、その語源は「的外れ」であり、更には、語源であるこの「的外れ」とは一体何を意味するのかと言うと、聖書で言うところの「的」とは、宇宙を創造し、地球を創造し、そして私たち人間を創造した宇宙の創造主である神を意味すること、すなわち、「的外れ」とは、神から外れている、神に背いている状態のことを指していることを説明致しました。
他方、かの空海は、生命現象・活動もまた宇宙の実在に属する以上、生命現象・活動の当然の属性である煩悩もまた宇宙の実在として、つまり宇宙にあまねく広がり存在する創造神である毘盧遮那仏、即ち大日如来の一表現であると考えたことから、その当然の帰結として、「煩悩もまた菩薩の位である」『人間は生まれながらにして菩薩である』という趣旨の言葉を説いたことも説明致しました。
一見、空海は人間という素材或いは原石そのものを肯定的に捉える一方で、キリスト教に於いては人間は罪深く生まれて来る、生まれながらに罪を負って生まれてくるという『原罪』主義・教義に表される様に、否定的に捉えている様です。
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