前号では、道教においては神と崇められる老子の『国の辱めを一身に引き受ける人こそ、その社稷の主と呼ばれる。国家の災厄を引き受ける人こそが、天下すべての王と呼ばれる』という言葉と、イエス・キリストの処刑時の、全人類をその罪から救うために身代わりに磔になったその姿に共通して高らかに響き合うものがあることの関連で、人間は罪深く生まれて来る、生まれながらに罪を負って生まれてくるというキリスト教の『原罪』主義・教義についてふれました。
また、この点については、空海の『人間は生まれながらにして菩薩である』『人はそのままにして既に菩薩』という趣旨の言葉と真っ向からぶつかることもお伝え致しました。
そして、キリスト教でいうところのこの『罪』とは何でしょうか?という問いを投げかけるところまでお話致しました。
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