メルマガ ジャーナリスティックなやさしい未来----2025年3月5日 第589号
東日本大震災からまた新たな歳月を刻む3月11日は、壮絶な震災な記録とともに、それぞれの記憶がよみがえる時期でもある。
私が毎年この時期に東京・代々木のカフェヌックで開催している「気仙沼線写真展」は、気仙沼線の写真を題材にして趣向をこらしながら、あの日を思い出すきっかけを提供している。
昨年は能登半島地震とのつながりを意識し「港」をテーマに行った。
今年は、初めてとなる「車両」に焦点を当ててみた。
鉄路では復活しないという現実を受け止めながら、そこで走っていた車両に目を向けるとイメージするストーリーも変わってくる。
キハ40系との記号もまた、情感を持って語られそうである。
私自身は不案内な鉄道の世界から見える気仙沼線は、やはり愛らしい鉄道だったのだと気づかされる。
気仙沼線は、宮城県石巻市の前谷地駅と気仙沼市の気仙沼駅を結んでいたJR東日本の路線である。
東日本大震災の被害により、特に沿岸部に近い柳津駅と気仙沼駅間が破壊され、震災の翌年からBRTの運行となった。
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