「225号」
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小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2025年3月13日号
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第225号:「弟子と友人の違いとは何か」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.御霊(みたま)の火の点燈
2.神我の成長
3.改めて「弟子」とは
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
読者の皆様、いつもご愛読いただきまして、ありがとうございます。
今回のテーマは、「弟子と友人の違いとは何か」です。
真理の世界を学ぶにつれて、自分は大師方の弟子であると錯覚する人が多くなります。
今回は、「弟子」と「友人」の違いについて、深く考えていきましょう。
ここでいう「弟子」とは、人間世界の徒弟制度のような、職住接近の関係にある状態のことを意味しません。
端的に言えば、「真理を学んでいる人が、内在のキリスト神我に気付いたとき」大師方は、その気づきに応じて「弟子よ!」と呼び掛けるのです。
おそばに仕えている人であっても、「内在のキリスト神我」に気付いていなければ、大師方からすれば、その人は、依然として友人の方なのです。
おそばに仕えている人は、大師方の常住坐臥を共にしていることが多いので、自然に「内在のキリスト神我」に気付く機会は多くなります。
しかし、真理の世界は厳しい世界です。
「神か人間か」という問いの答えが、恒常的に(絶対に変わることなく)「神」でなければ弟子ではありません。
弟子か友人かは、その人が自身に「内在するキリスト神我」の気づきの度合いによって、峻別されてしまいます。
では、弟子か友人かを決めるのは、あなたの霊的自覚~「内在のキリスト神我」の自覚~の度合いではないでしょうか。
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