池田清彦のやせ我慢日記
/ 2025年1月24日発行 /Vol.280
INDEX
【1】やせ我慢日記~人はなぜ働かなくてもいいのか~
【2】生物学もの知り帖~ナラ枯れは放置しておくのが一番いい~
【3】Q&A
【4】お知らせ
『人はなぜ働かなくてもいいのか』
麻生太郎が、新成人に「楽して儲かるなんて仕事はない」と説教して物議を醸している。日本で楽して儲かる仕事の最たるものは議員だろう。自分のことを棚に上げてよく言うわ。特に参議院議員は、一度当選すれば6年間は何にもしなくとも歳費がもらえる超ラッキーな職業だ。楽して儲けている人は他にもいて、例えば優良株を沢山持っている人は、配当だけで食べていける。今の日本の税制では、配当には2割の所得税が配当額に関係なく掛かるだけなので、1億円の配当があれば8000万円が所得になる。一方働いて1億円を稼ぐと、半分くらい税金に持っていかれる。麻生太郎の言い分とは反対に、沢山儲けようとするならば、なるべく楽をして働かない方法を考えた方がいいということになる。
しかし、働かないで優雅に生活できる特権階級を支えているのは、低賃金で働く労働者である。企業はなるべく低コストで生産して高値で売る。特権階級はこの差額を掠めて儲けているわけである。低賃金の労働者がいなくなればこの構図は崩れてしまう。それで、特権階級や特権階級にぶら下がって生きているフォロワーたちは、労働は美徳だというイデオロギーを国民に植え付けることに余念がない。
例えば、「NHKから国民を守る党」の副党首で元衆議院議員の丸山穂高は、麻生太郎の発言は当然だとして、麻生太郎の発言を批判するメディアを「便所の落書き以下」とこき下ろしたと伝えられているが、麻生太郎の発言は当然ではないのだよ。後段で詳しく説明するが、あと半世紀もすれば、農耕が始まって以来延々と生き延びてきた「労働は美徳」というイデオロギーは終わってしまうのだから。それとは別に「便所の落書き以下」というキッチュな比喩を、得々として使っている時点で、この人の感性はアウトだな。政治的な落書きはSNSに溢れているが、今や便所に政治的な落書きをする奴はいない。
何度も同じようなことを書いているが、狩猟採集生活をしていた頃は、労働は別に美徳ではなかった。働けば働くほど、富が蓄積するということがなかったからだ。自然生態系の中から余剰を頂いて食料にする生活で最も大切なのは、資源が枯渇しないことだ。例えば、バンド(狩猟採集生活をしていた頃の原始的な社会組織:血縁で結ばれた家族を単位とする50人から100人くらいの集団)の縄張りの中に、イノシシが500頭棲息していたとする。毎年そのうちの平均50頭を狩って、食料にしていたとしよう。イノシシの毎年の繁殖力が約10%だとすると、イノシシの個体群はほぼ500頭に保たれて、バンドにとっては持続可能な食料になる。しかし毎年100頭を狩るとどうなるか。次の年には500頭を維持することは困難になり、個体数は徐々に減って、いずれ持続可能性は崩れてしまう。ということは閾値を超えて獲れば、ヒトもイノシシも共倒れになるということだ。その日の食料が獲れれば、後はごろごろ好きなことをしていた方が賢いのだ。狩りを労働だと考えると、その頃の労働時間は1日2~3時間くらいだったようだ。
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