こんばんは!
年金アドバイザーのhirokiです。
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1.人々が望んだ国民年金の創設。
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昭和36年4月という年金制度にとっては絶対に覚えておくべき年月があります。
それは国民年金の始まりの時だからです。
この日から20歳から60歳前月までの人(サラリーマンや公務員とその配偶者は除く)は国民年金に強制加入して、毎月の国民年金の保険料を納付する事になりました。
今でこそ、国民年金はよく政治的に話題になりますし、あまり良い話を聞かない制度ではありますが創設当時は国民の多くが早く国民年金を作ってくれと望んだので創設されたのです。
昭和33年の総選挙時は自民党と社会党の2大政党がありましたが、両者とも国民年金を創設するという事が大きな目玉となり、投票率はほぼ80%というものでした。
なぜそれほどの目玉となるくらいに国民年金創設は望まれたのか。
その要因としては核家族化の進行です。
昔は親子三世代で暮らしている人が多く、子供が自分の子の面倒を見ると同時に、年老いた親の面倒を見るという形が多くを占めました。
親の相続を長男に継がせる代わりに、親の面倒を見てくれよという互助の考えですね。
しかしながら、昭和30年代に入ると高度経済成長期に入り、年頃の子供は都会へ出て稼ぎに行くようになりました。
都会へと人々が集中し、過密していくのでその周りの都市に居住するようになりました。
子が都会へ出ていくと、残された親は老後は自分で何とかするしかないような状況になります。
都会へ出た子に仕送りしてくれと言っても、子は子で自分たちの生活があるので親の面倒を見る事は困難であります。
そのため、親自身が老後になった時にどうやって自分たちの生活をしていけばよいのやら…という不安が高まるようになります。
昭和30年代に入る前なのですが、ちょうど昭和29年に戦後に壊滅状態になっていた厚生年金が形を変えて再建される事になりました。
また、私立学校などが共済組合を作ったり、7年間停止されていた恩給が復活したりと年金周りの動きが出てくるようになります。
当時はまだ厚生年金や共済組合はサラリーマンとか公務員の人だけに適用されているものであり、その数は全就労者4000万人のうち1200万人に過ぎませんでした。
そのほかの人(主に農業や自営業の人)にはまだ何の年金も無かったのです。
よって、そのままだと老後を迎えても年金は出ないので、必死に蓄えるか子供の扶養を期待するしかありませんでした。
しかしながら、社会の変化とともに子どもからの扶養を期待する事はかなわなくなっていったし、自分たち自営業者等を差し置いて共済組合とか厚生年金の方ばっかり変化していきました。
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