今回は、今週末(2024年10月5・6日)に科研費研究事業の「魔術研」が京都大学で開催する国際会議「イスラムとヨーロッパにおける占星術と星辰魔術:山本啓二さんの業績を記念する国際会議」で発表する予定の原稿を、発表に先立って邦訳してお届けします。
フェルネルの主張の面白いところをピックアップしたもので、まだまだ荒削りの議論ではありますが、今後磨きをかけていきたいと思います。
「フェルネル、占星術、ルネサンス医学」
はじめに
ヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1514-1564)やパラケルスス(Paracelsus, 1493/4-1541)がルネサンス医学のアイコンであることに異議を唱える者はいないだろう。ブリュッセルのヴェサリウスは、解剖学の改革と人体の理解という文脈で良く知られている。
スイス人の医師パラケルススは、中世末期の錬金術の伝統から多くの用語や考えを援用しつつ、生命現象の独創的な解釈にもとづいて、自然界のまったく異なる視座を提起した。ヴェサリウスはヨーロッパにおける医学教育の中心地パドヴァ大学の教授として、カール5世やフェリペ2世の帝室侍医として活躍した。
パラケルススはそうした方面では成功しなかったか、彼の仕事は熱狂的な運動を生みだし、最終的には社会的・宗教的な様相を帯びるようになった。
これらの人物のあいだに存在し、同様に重要だった第三の人物がパリのジャン・フェルネル(Jean Fernel, 1497-1558)だった。彼はパリ医学部の教授およびフランス王の侍医として成功し、彼の著作は17世紀の半ばまでヨーロッパ中で読まれ、影響力をもった。
フェルネルは自然界と生命現象における不可視の部分に強い関心をもち、彼の著作は学識ぶかく、流麗なラテン語で書かれているが、図版はない。これらの要素が現代の歴史家たちには、彼をより近づきがたくしたといえる。まさにこの理由で彼は今日あまり良く知られていないのだ。
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