━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『 田中優の未来レポート 』
第313号/2024.8.15
http://www.mag2.com/m/0001363131.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「総力戦研究所」のあとさき
「虎に翼」の「総力戦研究所」から見た日本人の罪
現在放送中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」で知った「総力戦研究所」だが、ちゃんとウィキペディアに載っている。今でもその存在は知られていないが、確かに存在していたようだ。そして今オリンピックの騒ぎが終わった時点から見てみると、「戦時中はこんな感じだったのだろうな」と感じがわかる気がする。自分がするわけでもないのに熱中し評論する。そして自分には何の関係もないのに一喜一憂し、国の誇りだとか言うし、関係ない人たちが自分の努力であったかのように言い、出身地や母校は便乗して騒ぎまわる。ぼくは今ではすたすた歩くこともままならないから、運動することに興味がない。しかしテレビは中継に時間を取り、同じくテレビコマーシャルと中継に埋め尽くされる。
それが戦争という事態であったならさぞかし人々は夢中になっただろう。しかし残念ながら日米戦争では大きさが違い過ぎる。当時の人たちは本気で「B29に竹槍で勝てる」と思ったのだろうか。まさに集団狂気だ。そのことを当たり前に指摘していたのが「総力戦研究所」だった。この結論は実際の戦時の状況を言い当てたように示していた。
日本の政府は戦争を礼賛する人々で満ち溢れていたから、東条英機が言ったように詭弁を弄してこれを否定し口外するのを禁止するばかりだった。ところが人々もまた好戦的なおとぎ話だけを信じて、メディアの伝える「偽りの戦果」ばかりを信じようとしていた。 今回のオリンピックやスポーツ大会の応援を見ていると、嫌でも「戦時中の事態」を思い浮かべてしまうのだ。「特高警察」のような陰湿でしつこい権力に狙われたら、当時を描いた映画では、「特攻隊」のような自殺しか選びようがなかった。
悲しいほど人々には選択肢が限られていた。今でも日本の未来には、細心の注意と警戒心を持たなければ同じ轍を踏む可能性が高い。そうした未来を選ばないためには、「総力戦研究所」のような分析力と判断を市民自身が持てるようにならなければならないだろう。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)