今回は、スウェーデンでの国際会議から生まれる論集『粉々になる質料形相論:自然哲学と医学における元素、原子、粒子』(スプリンガー書店)
https://bit.ly/4d8t2ai に寄稿した新作の英語論文を邦訳(前編)をお届けします。論集は今年9月半ばの発売予定です。
僕個人としては、年頭のジョルダーノ・ブルーノ論文、6月に出版されたルネサンスのガレノス論争論文につづく、今年3本目の論文の出版となります。今年は、なかなか早いペースで出版されている感じですね。
「シェキウス、シンプリキオス、原子論者アナクサゴラス:アリストテレス注解とルネサンス粒子論」
はじめに
ルネサンス期は、伝統的な質料形相論が古代原子論の復活と共存するという移行期となっていた。このプロセスが、初期近代ヨーロッパにおける相反する多様な物質論の流行に貢献している。
質料形相論の中世的な伝統は、アリストテレスの教えに大幅に依拠した大学教程によって訓練された哲学者や医学者によって維持されていた。アリストテレスが自身の著作で先行者たちのなかでデモクリトスを批判したことから、デモクリトスと彼の原子論は、スコラ的な教育に起因する著作や論争のなかで格好の批判の対象となった。
しかし同時に、アリストテレスの著作への注解に依拠したこの伝統そのものが、予想外の仕方で原子論への関心をひき起こしたのではないかという問いを、ここで投げかけることも可能だろう。
原子論にたいする主要な批判のひとつは、つぎの問いに関連してくり返し表明される:原子の偶然的な衝突だけで、動植物の高度に複雑な形成や組織化をどうして説明できるのか?
結局のところ、物質の始原的な単位である原子は、同じ基体を共有しつつ、形状と大きさだけが異なると想定されていた。いうまでもなく、生命を宿していない原子や粒子をもとにして、生命現象の出現を説明するのは非常に難しい。
この批判を回避するひとつの方法は、原子そのものや少数の原子の集合体のなかに何らかの内的な特性を認める方法だった。初期近代ヨーロッパにおけるエピキュロス流原子論の復活者として名高いピエール・ガッサンディ(Pierre Gassendi, 1592-1655)は、あきらかにこの解決策を採用した。
ガッサンディは、世界の初めに神によって原子の集合からつくられた「分子」(moleculae)あるいは「事物の種子」(semina rerum)という考えを提起した。彼にとって、これらの分子は動植物やそれらの霊魂をふくめた自然物の高度に複雑な組織化を保証するものだった。
彼は、ルネサンス・プラトン主義によって展開され、17世紀初頭のキミストたちのあいだで人気のあった種子の理論を受容することで、自身の理論をつくりあげたのだ。
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