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池田清彦のやせ我慢日記 vol.264 -日本の近現代史における歴史的分岐点について3-

池田清彦のやせ我慢日記
池田清彦のやせ我慢日記 / 2024年5月24日発行 /Vol.264 INDEX 【1】やせ我慢日記~日本の近現代史における歴史的分岐点について3~ 【2】生物学もの知り帖~蝶の季節型~ 【3】Q&A 【4】お知らせ 『日本の近現代史における歴史的分岐点について3』  前回はミッドウェー海戦の敗戦で、客観的に考えれば日本はこの戦争に勝つ見込みはなくなったので、さっさと敗北宣言を出してしまえばよかったのに、という話をしたが、その後敗戦までの3年の間に白旗を上げる機会はなかったのだろうか。当時の日本の軍人は「生きて虜囚の辱めを受けず」という東條英機が1941年に全陸軍に発した戦陣訓を叩き込まれていたので、自国の兵隊の命も大切にしなければ、敵国の捕虜の扱いも真に非人道的なものであった。  日本国内では「鬼畜米英」と盛んに敵愾心を煽っていたが、自国の兵士や敵国の捕虜を粗末にする点に関しては、鬼畜は米英ではなく、日本だったことは間違いない。戦争初期における典型例を二つほど上げる。一つ目は米軍が日本本土に最初に空爆を行ったドーリットル空襲で、日本の捕虜になった米兵の取り扱いについてである。  真珠湾攻撃終了後、同作戦の支援に回っていた日本海軍の潜水艦の内9隻は北アメリカ太平洋岸でタンカーや貨物船を撃沈させており、アメリカ国民の士気が下がることを憂慮したアメリカ軍は、報復処置として日本本土への空爆を計画する。  B-25爆撃機を搭載した空母ホーネットは、空母エンタープライズに護衛され、1942年4月1日サンフランシスコから出撃した。本州の東方海域に辿り着き、1942年4月18日午前8時15分から1時間の間に、東京から700マイルの地点でB-25機16機を次々に発艦する。ホーネットから飛び立ったB-25は、まさか空爆はないだろうという日本の防衛網の油断をついて、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などを爆撃するとともに、一部の機(特に16番機)は機銃掃射を行い、主に民間に被害が出て、機銃掃射で殺された民間人もいた。また護衛の空母から発進したF4Fワイルドキャット戦闘機は日本の哨戒艇を攻撃し、5隻が沈没7隻が損傷したが、軍事的には大した被害ではなかった。

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