3・11日。
13年前のこの日、東北の海沿いを襲った大津波と、それに伴う原発事故において、一瞬にして暮らしが変わってしまった人たちがいます。
被災されたすべての方に、心から哀悼の意を捧げます。
本当に長い時間が過ぎたような気がします。いや、あっという間だったのかな……。
私や私の家族たちももちろんそれなりに大変でしたが、結果的に今ちゃんとここに生きているから問題は特にないのです。
それに、もういろんなことがあっていろんな思いをして、また人との関係も変わって、あの頃とはずいぶん状況が変わってしまいました。
だから忘れてしまいたいこともあります。そして、実際に忘れてしまいます。
重いものをいつまで無意味に引きずっているのは嫌いです。
さて、そんな今日は号外を出させてください。
これまでどこにも出していなかった話です。ずっと心の中でくすぶっていたのだけど、もう話してしまうことにしました。
私の義実家、気仙沼の話です。
震災の日、2011年3月11日は金曜日でした。
ママ(義母)が毎週金曜日の午後に、気仙沼にほど近い岩手県陸前高田のプールに泳ぎに行くことを私は知っていました。
だいたい気仙沼に帰るのが16時頃、それから夕食の用意をして、18時にはパパと夕食を取り、22時前には眠る人でした。
あの日、ママとは連絡が取れませんでした。
ご存知の方も多いと思いますが、陸前高田は津波でなにもかもがなくなった町です。
実際に陸前高田の親戚も流されてしまいました。
私はママと連絡が取れずに、だけど陸前高田に行っているのを知っていたので(毎週金曜日はそれがルーティンだったのです)、大きなパニックに陥ってしまいます。
後で聞けば、パパも「ああ、この時間に陸前高田にいたなら女房はもう流されてしまったかもしれない。覚悟しよう」と思ったと言っていました。
そんなパパも気仙沼の海っぺりでなすすべなく、もう天にすべてを任せるしかなかったのですから、どうしようもなかったと思います。
こちら仙台も近くまで津波が到達し、自分たちの身も守らねばいけませんでした。
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