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『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』
~時代の本質を知る力を身につけよう~【Vol.45】
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【今週号の目次】
1. 気になったニュースから
◆ OpenAIが発表した動画生成AI「Sora」
2. 今週のメインコラム
◆ スーパー・エイジャーへの道:その5
3. 読者の質問に答えます!
4. スタッフ“イギー”のつぶやき
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2. 今週のメインコラム
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◆ スーパー・エイジャーへの道:その5
「スーパー・エイジャーへの道」シリーズの第5回目です。今回は、エイジズムや年齢バイアスについて考えてみたいと思います。
「年寄りの冷や水」だの、「いい歳をして…」などの表現はよく耳にします。さらにひどいものになると、「老害」「晩節を汚す」などの表現もあります。これらは、自虐的に使われることもありますが、たいていの場合は高齢者を差別する目的で使われることが多いようです。
最近では、おかしなメガネを掛けた成田悠輔とかいう正体不明の自称「学者」がやたらとテレビやネットに登場して、「高齢者は集団自決した方がよい」などという不穏な発言を平気で繰り返しています。老人社会に辟易した世代の人たちからはそれなりの支持を得ているということなのでしょうが、このような人がもてはやされるのはあまり気持ちの良いものではありません。
言うまでもなく、高齢者といえども、能力や生き方は人によって違います。しかし、それを勝手にまとめてラベリングし、その行動を制限したり、尊厳を奪ったりするような言葉や態度は、必ず未来の自分に還ってきます。人は誰でも必ず歳を取るからです。
年齢に基づく偏見や差別にはWHO(世界保健機関)も警鐘を鳴らしており、「エイジズム」や「年齢バイアス」と呼ばれることがありますが、もちろん、高齢者に限った話ではありません。若い人たちに対しても、「若気の至り」「若輩者」「最近の若い人は…」などという表現が昔から使われてきました。すなわち、エイジズムや年齢バイアスは、社会的慣習に紛れ込んでどの年代に対しても向けられています。例えば、「結婚は何歳までに」というようなものも、「年齢的には自分もこうあらねばらない」という同調圧力を人の内面にもたらしています。
年齢に関係なく、ありのままの自分として生きていくために、エイジズムや年齢バイアスは誰にとっても他人事ではありません。特に、超高齢社会となった日本では、「シニア」と呼ばれる世代の人たちがエイジズムや年齢バイアスに囚われてしまうのは、莫大な社会的損失にも繋がります。「いい歳をして」という偏見や思い込みが自らをも蝕み、挑戦する気力や可能性を抑え込んでしまうからです。
アメリカには、「高齢者は貴重な社会的資本である」と捉える考え方がありますし、アフリカには、「高齢者が1人亡くなると図書館が1つ消える」という表現があるそうです。儒教の影響を受けている日本にも、もともと年長者や高齢者を敬う習慣が根付いていたと思いますが、最近では、前述した学者のような発言が一定の賛同を得るなど、世相が随分と変わってきているのは否めません。
高齢者医療の専門家で精神科医の和田秀樹氏によると、--
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