--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
能登半島地震から3週間 見えてきた課題石川県、「能登でM8.1」試算を知りながら、防災計画は「M7.0」据え置く 日本の避難所は“難民キャンプ以下?”
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
元日におきた能登半島地震から、3週間が経過した。しかしながら、被害の全容はまだ分かっていない。
全容解明が遅れている理由としては、半島という地理的条件が関係している。半島は山がちで平地が少なく、交通の代替が利かない。
事実、地震発生後、栃木県内から派遣された災害派遣医療チーム「DMAT」の3次隊として、今月6~8日に石川県に派遣された医師らが、現地での活動状況を読売新聞の取材に答えているが、派遣場所は能登半島の先にあり幹線道路が少ないなど、地理的性質が活動に影響したため、「初動の体制構築に遅れが見られた」などと指摘する(1)。
あるいは、能登半島では人口減少や高齢化も進み、そのことが地域の活力や防災力を低下させた。
能登半島西岸部の輪島市あたりは江戸時代から明治時代初期にかけて海運業で栄えた。 しかし、以後、海を使う交通が陸や空を使う交通に押されて衰退、半島の優位性はなくなる。
結果、この地域は日本全体の人口減少より一足早く、人口減少が加速していった(2)。
目次
・石川県、「能登でM8.1」試算を知りながら、防災計画は「M7.0」据え置く
・志賀原発でもトラブルつづく
・避難所運営になお課題 日本の避難所は“難民キャンプ以下?”
・石川県、「能登でM8.1」試算を知りながら、防災計画は「M7.0」据え置く
地震に関しては、石川県の防災体制の課題を浮き彫りに。注目すべき点は、石川県が過去に予測していた能登半島北方沖で起きえるだろう、マグニチュード(M)8.1の地震が生じるとの試算を出していたものの、実際の防災計画ではM7.0を想定。
要は、2012年にこの予測を立てながら、97年度公表の県の公式な防災計画の下でのM7.0の想定を据え置いていた。東京新聞が報道(3)。
2012年に経済産業省原子力安全・保安院が開催した会議で、産業技術総合研究所の専門家は、能登半島沖の複数の活断層が連動して大規模な地震を引き起こす可能性を指摘。
これにより、北陸電力は志賀原発M8.1相当の地震を想定した試算を行う。しかし、石川県の地域防災計画では、M8.1の地震の可能性を変更しなった。
この試算は、谷本正憲氏が知事を務めていた94年から7期28年の間、東日本大震災の翌年に行われる。
しかし谷本知事は「震災が少ない地域」とアピールしながら企業誘致に力を入れ、北陸新幹線の金沢開業を控えて誘客に力を入れていた。
現知事の馳浩氏は、就任した2カ月後の22年5月、地域防災計画の地震災害対策編を見直すとする。ただ、今回の地震には間に合わなかった。
・志賀原発でもトラブルつづく
地震では、石川県志賀町にある志賀原子力発電所でもトラブルが発生。この地域は震度7の揺れを観測し、地震発生時に変圧器の故障と消火設備の作動があったり、北陸電力は、「爆発したような音と焦げ臭い匂いがあった」という報告を原子力規制庁に行う。
そして林官房長官は緊急記者会見で、「志賀原子力発電所では、変圧器の火災が発生したが、消火されたためプラントに影響はない」とする。しかし、その後の調査で北陸電力は「火災はなかった」と発表。
他方、2号機の変圧器が壊れたことで漏れ出た油の量については、北陸電力は当初、約3500リットルと発表していたが、その後、5倍以上の約1万9800リットルだったと訂正。
津波に関しても、北陸電力は「有意な水位変化はなかった」と初めは発表しましたが、後に敷地内の水位計で3メートルの上昇が確認されたことを訂正(4)。
一方、この地震で志賀町は震度6弱以上を記録し、国の原子力災害対策指針に基づいて「警戒事態」に該当すると原子力規制庁は判断していた(5)。
震源地近くでは過去に珠洲(すず)原発の建設計画があったが、住民の長年の反対運動によって建設は中止された(6)。もし計画が実現していたら、どうなっていたのか。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)