大阪の講演で、当日の晩に勉強会の講師をやらないといけなかったので、久しぶりに飛行機を使った。
行きも機材の到着遅れとかで10分遅れて出発したうえ、なぜか滑走路の順番待ちで遅くなり、20分くらい遅れて到着した。
その上、出口からかなり遠いゲートに駐機した。遅れている時くらい、もう少し便宜を図れないのかと嫌になった。講演会に間に合うのかドキドキしたが、伊丹からのタクシーが空いていてことなきを得た。
ビジネスで、新幹線では間に合わない急ぎの客が飛行機に乗るという基本的なことを全日空は考えなくなったようだ。
コロナ前は、ときどき飛行機を使ったが、私の知る限り必ずいちばん近い駐機場に止めてくれていた。新幹線との競争を考えてのことだろう。
今の全日空の経営陣なり、現場スタッフはそんなことを考えなくなったようだ。
それでもプレミアクラスは満席だし、静岡県がごねているからリニアも当分遅れそうなので、たかをくくっているのかもしれない。
帰りはもっと悲惨だった。
やはり機材の到着遅れて、10分遅れの出発になったが、行き以上に滑走路の順番待ちが長かった。私の記憶では、東京大阪便はやはりこれも優先されるようにして少しでも早く出られるようにしていたはずだが、管制が許さないのか、新幹線との競争があり、ビジネスユースの多い便でも早く出ることがなくなったようだ。
そして、予想通り、遅れて羽田についたのだが、着陸してから駐機場に入る間に別の全日空の飛行機が停まっていてそれが出るのを待っている。
そうでなくても遅れて客に迷惑をかけているのだから、そのくらいの準備ができないのにあきれた。
そして、なんと一番とは言わないが、かなり遠い駐機場に停まった。出口まで500メートル。さらに最初の150メートルは工事中で、動く歩道が使えない。
なんでこの駐機場を選んだのかがわからない。次の仕事がある人はまったく無視されているし、乗り継ぎの客で犠牲になった人もいるだろう。
昔の全日空は、客サービスのいい会社だった。2022年4月に社長が井上とかいう奴に変わったようだが、先が思いやられる。
結局、3時発の飛行機に乗って、羽田の駐車場を出たのは5時になった。
予定通り4時過ぎに着けば、首都高も混んでいないはずだったのに、首都高でも大渋滞で、自宅に戻ったのは6時を過ぎていた。
計算上は新幹線を使ったほうが30分早かった。
全日空という会社が、新幹線との競争をあきらめたことだけはよくわかった。
おそらく東京大阪で飛行機を使うことはもうなくなるだろう。
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