朝の情報番組を見ていると、発達障害の専門家と称する大学医学部教授が出ていた。
本田秀夫とかいう信州大学医学部の教授だ。
無理にコミュニケーションをしなくていいとか、得意なところを伸ばせばいいという教科書的な話をして、優しそうな顔をして子供に接する様子が描かれていた。
ただ、この人の所属する信州大学では、発達障害の子供が最も苦手とする集団面接を入試面接で行い、順番が悪いのにあたると何時間も待たせ(これも発達障害の子供には苦手だ)、おそらくは面接の点が悪い子を落としているのだろう。
今の日本中82のすべての医学部で行われている入試面接は、かつての私のような発達障害の子供が一生懸命勉強して、合格点をクリアしても、教えるのが面倒くさいという理由で、入学試験ではねられる。
本当に今の時代に生まれなくてよかったと思う。
この本田とかいうきれいごとをいう医者も、発達障害の子供が一生懸命勉強してきて、医者になろうとしても、集団面接で足蹴にするのだろう。
この人だけは、発達障害の子にちゃんとした点をつけるのかもしれない。
しかし、3人面接官がいるから本田氏だけがいい点をつけても落とされるだろう。
発達障害の子供だって、医学部に入ってから、医者になってから伸びるかもしれないし、ダイバーシティの時代なんだから入試面接なんかやめろと教授会でいえばいいのに、おそらく言っていないだろう。
そういう政治的な人間しか大学の医学部の教授にはなれない。
入試面接をやめる大学が出てくるまで、私は大学の医学部の教授の人間性を疑い続けるし、そんなやつを信用する気になれない。
以前紹介した『ザ・パターン・シーカー』という本は素晴らしい本だった。
同じ自閉症の子供を見るにしても、著者のサイモン・バロン・コーエンは入試面接で落とすべき対象としてでなく、人々が気付かないシステムや規則性を見つけ、人類を発展させる天才として目を向ける。
実際、自閉症の人には、人並みすぐれたこのシステム化ができる人が多く混じっている。
日本の医学部というと教授を選ぶときは臨床能力より論文の数で選ぶのに、入試面接では臨床が大事だからと言って、共感能力を重視する。
しかし、大学の医学部は臨床医だけでなく研究医も入学させる必要がある。
天才より、教授回診の尻尾にくっついてくる人間が欲しいのなら、そんな学校から天才的な研究者が出るわけがない。
またこの手の自閉症の人たちの集中力はおそらくものすごい手術の腕のいい人にもなり得る。それも落として、愛想がいい人間を入試面接で入れる。
腕はヘボだが、患者に対する言い訳だけがうまい群馬大学の30人殺しのような奴をとるのが入試面接だ。説明は下手だが、手術の達人ははじかれる。これが患者に幸福なことと言えるのだろうか?
自閉症を排除している限り、日本の医学の将来は暗い。
私も自閉症だから、医学の大勢に逆らえるのだが、もう私みたいな人間は出ないだろう。
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