今週は多くのメディアが反「ゼロコロナ」デモを大きく報じた。
抗議デモは映像を見る限り若者が中心で、かつA4サイズの白紙を手に持つ、概して静かなスタイルが斬新だったこともあり、世界のメディアが敏感に反応した。
メディアのなかには、抗議活動が全国50都市までに広がったと報じたところもあった。
また、上海のデモ隊のなかには「習近平辞めろ」、「共産党退陣」と叫ぶ者もあり、日本では早速、「天安門事件の再現か」と騒めく声が広がった。
だが、本当にそうだろうか。
1989年に起きた第二次天安門事件(=以下、天安門事件)は、大多数の国民が敬愛する胡耀邦元総書記が無念の死を遂げたことがベースにあった。胡耀邦がなぜ「無念の死」であったかといえば、それは1986年末の学生デモに厳しく対処しなかったことを咎められ、道半ばで失脚したからだ。
このデモは胡耀邦を応援するために学生が仕掛けたデモであったが結果として胡耀邦を追い詰めてしまった。学生たちの心には、それが澱のように溜まっていて、どこかで挽回したいという強い思いもあったのだ。
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