喜多川泰のLeader’s Village Vol.34号です。
11月になりました。
ここ最近、講演会が増えてきて移動が多くなってきました。
オンラインでしか会ったことがなかった方と初めて会う機会や、コロナ前によく講座に参加してくださっていた方と再会する機会も増えてきました。
前回のメルマガも大阪のホテルで書いたものですが、今回も長野、佐久平のホテルで書いています。
各地での講演会では講演後の「食事」も楽しみの一つです。
その土地の有名な「食」を現地でいただけるというのは、何よりも贅沢な経験です。
人は食べたものでできています。
例えばあなたの体重が60kgだったとしたら、その60kgはすべて食べたものによってできたのであって、自分が内側から作ったものはただの1gもありません。
もちろん、これからも食べ続けます。
1日2〜6kgの食事(食べ物と飲み物)を摂取する。
まあ、平均で4kgとすると、一年でおよそ1,500kg。
それをこれからあと30年続けたとすると43,800kg食べることになる。
2tトラックの荷台いっぱいの食べ物を22台分も食べるのに、おそらく30年後の体重も60kg前後でしょう。つまり摂取したのと同じ量のものを外に出している。
日々、食べたものを材料として、新しい「私」を作ったり、「私」を動かす燃料として使い、古いもの、不要となったものを排出する。
「給食はみんなで同じものを食べる。だから、僕たちは同じものできている仲間だと思える」
ドラマ「おいしい給食」で給食大好きな中学生の神野君がそんなようなことを言ってた。
まさにそう。
例えば、家族は同じものを食べて生きることが多い。
朝昼晩とまったく同じものを何日も続けて食べるとしたら、身体をつくる材料はまったく同じものだといえる。
同じキャベツ、同じきゅうり、同じ人参、同じ稲からできた米、同じ鶏、同じ牛、同じ牛乳
をシェアして食べる。
ところが同じ人はできない。
摂取するものをまったく同じにしても別人になる。
ただ、確かに「僕たちは同じ部品からできている仲間だ」
とは思える。そう考えると、同じものを食べる者どうしというのは、他人とは思えないほど近い存在に感じないだろうか。
だって、今でこそ、「あなた」と「私」と別れているけど、その部品は昨日までは同じ「牛」だったんだから。
今日のテーマは
「あなたが『私は幸せになりたい』というとき」
というお話。
難しいかもしれないから、ちょっとゆっくり読んでみて。
それでは行ってみよう!
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