今回も引き続き、修行にまつわるテーマを探究していきたいと思います。
前号では、「家族」や「一族」の霊的な中心、柱となる人物にとっては、問題を引き起こす他のメンバーこそ、まさに自分が学ぶべき相手であるということの関りから、しかしそこには「人は自分のことを一番知らない」という難しさ、つまり人は自分のことは自分が一番よく知っているつもりでいながら、実は、よく知らない、理解していないことが多いという実態がついてまわることを説明致しました。
更に、自分の欠点には気付かない一方、他人の似たような欠点には目くじらをたてたり、或いは他の欠点を笑い、批判するなどあげつらうことが多い傾向があることなど、往々にしてひとはこのような「己を知らない、思い上がり」や「傲慢さ」に知らず知らずのうちに陥っていることが多いということ、相手の出来ていないところ、欠点だけが見えて、困ったものだというような批判や非難めいた気分や思いに浸り続けていることが多いのが実態といえることも説明しました。
では再び、なぜ、このような、「自分というものに対する理解・認識不足」「己を知らない」という状態が生まれるのでしょうか?
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