前回、日本の国葬は大喪の礼と同格で、戦後は吉田茂氏しか、その扱いを受けていないし、香淳皇后ですら国葬になっていないという話をした。
安倍氏が天皇陛下と同格かということが大して議論もされずに決まったことが畏れ多いと私は思っているわけだが、国葬反対の理由は、金の問題や旧統一教会の問題にすり替わっている。
それも立派な反対の理由だが、これでは本当は安倍氏は天皇陛下と同格だが、金をかけるのがもったいないとか、旧統一教会との関係があるから、それを許さないという話になる気がする。
日本が一人あたりのGDPや製品の競争力で韓国に負けるようにした責任が不問にされ、名総理とされることは釈然としない。
いずれにせよ、イギリスの国葬と大きな差をつけられた「恥ずかしい」国葬になっているが、さらに輪をかけて松野官房長官が「国葬儀当日は、海外要人を含む参列者にマスク着用を求めるとともに、消毒液設置などの感染対策を行う予定だ」と述べたらしい。
もはや、世界のスタンダードとなっているマスクの非着用だが、この葬儀をきっかけに外国に倣おうというのならともかくとして、外国から、せっかく安倍氏を弔うために訪ねてきた人にマスクを強要するという話に唖然とした。
外国ではマスクをしたまま人と話すのは無礼なことだし、表情を見せるコミュニケーションが大切なので、マスクをしなくていいという話になれば、すぐにみんながはずしている。
日本だって、マスクをしたまま葬式に出るなど、最高に無礼な行為だったはずだ。
こんなに非難を受けてまで安倍氏を国葬にしているのに、今度は、国民やマスコミの批判を恐れて、外国からのお客さんにマスクを強要する。まったく信念や儀礼が感じられない。
思いつきで、安倍氏が天皇陛下並みという畏れ多い扱いをしたのかと思うと外国からの要人にこんな要求をするとは、まさに恥の上塗りだろう。
外国だって、マスクをはずしても、大して感染者が増えないことを科学的に検証し、実際、そうなったことはよくわかっている。
日本の科学や医学のレベルがそんなものかと思われるのも恥ずかしい。
参列者をみても痛感したが、日本の三流国家化に背筋が寒くなる。
実はオーストラリアにきている。
林真理子理事長とともに、日大のニューキャッスルキャンパスの視察にきたのだ。
詳しいことは言えないが、田中元理事長時代に建てたこの新しいキャンパスが、経費をかけるに値するかの現地視察である。
ここからは私の印象論だが、すばらしい建物であり、すばらしいロケーションであったことは確かだ。
それ以上は余計なことは書かないが、なぜこの話を持ち出したかというと、オーストラリアのマスク事情の話をしたかったからだ。
飛行機の中ではマスクを強要されたためか、ろくに眠れなかった。
入国審査の列でもみんなマスクをしていた。
ところが入国審査の係員はマスクをしていない。
もちろん、そこを出るとパラダイスのように誰もマスクをしていないし、タクシーの運転手もマスクをしていない。
そこで、これが世界のスタンダードだと痛感したのだ。
今、留学しようとか海外を見ようとしない若者が増えているが、こういう実際の姿をみてほしい。
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