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[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.548]沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その3

高野孟のTHE JOURNAL
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 高野孟のTHE JOURNAL Vol.548 2022.5.9                  ※毎週月曜日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 《目次》 【1】《INSIDER No.1154》 沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その3 ーーイデオロギーよりアイデンティティ ■■INSIDER No.1154 2022/05/09 ■■■■■■■■■ 沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その3 ーーイデオロギーよりアイデンティティ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  前号に引き続き、東アジア共同体研究所の琉球・沖縄 センターで制作中の「沖縄の復帰50年」を振り返るため のブックレット巻頭文の草稿の第3回分を紹介する。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●始まった「自立」への試行錯誤  50年間前半期の「開発の時代」のいちばんの立役者で あった西銘知事が、ウチナーンチュのアイデンティとい う根源的な問題に突き当たってしまうという中で、「復 帰」への幻想を断ち切って「自立」「自己決定権」を獲 得しようとするさまざまな試みが現れてくるのが、後半 期だったろう。  まず、県政そのものが革新の手に戻った。1990年 11月の県知事選で、自民・民社両党の推薦で4選をめざ した西銘を、社会・共産・社会大衆各党による「革新共 闘会議」推薦、公明党支持の大田昌秀が阻んだのだが、 彼は、言葉で厳しく非難しながら実は本土政府の温情に すがるかの旧来の「革新」の範型の繰り返しを脱して、 自分らの道は自分らで切り拓くという姿勢をとろうとし た。95年に打ち出した「国際都市形成構想」と表裏ワン セットの「基地返還アクションプログラム」がその典型 例で、本土が沖縄の米軍基地負担の軽減について何もし ようとしないのであれば、県が独自に米国と交渉して今 から2015年までを3段階に分けて不急不要の基地か ら順に返還させ、その跡地を活用して沖縄を東アジアの 平和の要石とするような「国際都市」を作り上げること を宣言した。96年結成の旧民主党がそれに強い影響を受 けつつ「常時駐留なき安保」と「東アジア共同体構想」 を中心政策に掲げたことは、先に触れた。  ちょうどこの頃、中央政界では地方分権とそのための 大胆な制度改革案として「道州制」が盛んに議論され始 めた。道州制は、北海道はそのままの区域とし、他の都 府県を10前後の州に再編・統合し、その道州に国の持つ 財政を含む権限を大幅に移譲しようという考え方で、沖 縄に関しては九州の一部に包摂する案と独立した州にす る案とがあった。当時、私が旧民主党創立のための政策 立案との関わりで議論していたのは、自民党の地方分 権・道州制の議論があくまでも中央集権制を維持し、場 合によってはそれをむしろ強化するために都道府県を廃 止し、市町村を合併して合理化することに主眼があった のに対し、来たるべきリベラル新党のそれは、逆に明治 以来の官僚主導の中央集権制を転覆して「地方主権」と 呼べるほどに地方政府の権限を大きくする大改革を主張 していた。現実にはこの議論は、橋本行革による形ばか りの「中央省庁再編」と、徒に市町村の数を減らして合 理化を強行しただけの理念なき「平成の大合併」となり 終わる。とはいえ、この時代の空気が沖縄には「沖縄 州」もしくはそうなる前の現行の都道府県制の下でも 「沖縄特別自治県」として「自立」の道に踏み込もうと いう気運をもたらした。

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