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[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.547]沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その2

高野孟のTHE JOURNAL
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 高野孟のTHE JOURNAL Vol.546 2022.5.2                  ※毎週月曜日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 《目次》 【1】《INSIDER No.1153》 沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その2 ──ウチナーンチュはヤマトンチューになれない 【2】《FLASH No.449》 「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換える自民党 の幼稚な言葉遊び/日刊ゲンダイ4月28日付「永田町の 裏を読む」から転載 ■■INSIDER No.1153 2022/05/02 ■■■■■■■■■ 沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その2 ──ウチナーンチュはヤマトンチューになれない ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  前号に引き続き、東アジア共同体研究所の琉球・沖縄 センターで制作中の「沖縄の復帰50年」を振り返るため のブックレット巻頭文の草稿の第2回分を紹介する。 ───────────────────────── ●ゼロどころかマイナスからの出発  1972年5月15日、那覇市民会館で開かれた沖縄復 帰記念式典で挨拶に立った屋良朝苗知事はこう述べた。  「沖縄の復帰の日は、疑いもなくここに到来しまし た。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らし て復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望 が入れられたとはいえないことも事実であります。そこ には、米軍基地の様態の問題をはじめ、内蔵するいろい ろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであ ります。したがって、私どもにとって、これからもなお きびしさは続き、新しい困難に直面するかもしれませ ん」  「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきた ことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和 で、いまより豊かでより安定した、希望のもてる新しい 県づくりに全力をあげる決意であります」  抑制された表現ながら、自分の全人生を賭けた「復 帰」がこれほどまでに形ばかりのものとなり終わり、米 軍基地のありようをはじめすべての問題が解決されずに 「復帰後」に持ち越されざるを得なかったことへの悔し さが血涙となって滴り落ちそうな言葉である。それは当 然で、復帰のこの日、日米両政府が最初にやった仕事と いえば、午前0時1分から東京の外務省で日米合同委員 会を開き、沖縄に日米地位協定を適用し、それに従って 嘉手納はじめ87施設を無期限に米軍に提供するとの合意 を交わすことだった。「5・15メモ」と呼ばれたその合 意議事録は秘密扱いとされ、その日の午前10時30分に始 まった那覇での式典に臨んだ屋良の耳に届いていないの はもちろんのこと、25年後の1997年に全文が公開さ れるまで県民の誰も知らなかったのである。

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