「74号」
小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2021年12月16日号
第74号:「悟りの判定は誰が下すのか」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.悟りとは、神の理解度
2.変性変容の法則
3.自己誇張は益なし
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
今回は、「悟りの判定は誰が下すのか」という内容です。悟りの状態は、客観的に測定できる指標が無いのです。では、どのようにして、「悟り」「非悟り」を判定するのかということが、問題となります。
そもそも、心の状態を観て、悟り・非悟りと区分できるものではないのです。悟りとは、ある日突然、獲得する状態ではないのです。
悟りとは、「自分が神である」という「神我意識」が、どれだけ理解されて、日々の生活に顕現できているかが、尺度なのです。
自らが、「私は悟った」という人は、悟っていません。悟った人は、自分が悟ったとは言えないほど謙虚になっているからです。
その観点から、悟りについて、いろいろな考察を交えて、ご案内します。
読者の皆様の、神を理解し、受け容れる能力が、悟りの深さを決定づけるのだということを、お分かりいただければ幸いです。
【まえがき】このメルマガについて
初めてお読みいただく方のために、このメルマガの内容を、簡単にご案内します(すでにご存じの方は、本文へお進みください)。
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