No.486 (2021年09月26日発行)
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鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編
頭が良い人間「だけ」が超絶的に得する今の資本主義社会で生き延びる方法(1)
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人間の能力はそれぞれ違う。子供ひとりひとりを見ても、それはすぐに分かる。遺伝的に身体が大きく、強く、タフで、持久力があって、ひたすらスポーツに打ち込んでいる子供がいる。
その一方で、同時に生まれつき身体が虚弱で、小さく、力もなく、持久力もなく、どんなに鍛えてもスポーツがうまくならない子もいる。
あなたも子供の頃を振り返って、「どんなに一生懸命に走ってもビリ」「逆立ちをどんなに練習してもできない」という同級生をひとりふたりは思い浮かべることができるだろう。
遺伝的に優れた肉体の子と、どうひいき目に見てもそうでない子が存在するというのは、誰もが見た目で判断できるほどだ。
身体の弱い子供たちはスポーツが苦痛だろう。どれだけ必死に努力しても、身体の強い子供たちには敵わない。遺伝的に追い抜くことができない。
身体の強い子が努力も何もしなくても難なくできることが、身体の弱い子には絶望的に克服不可能なものであったりする。もはや遺伝的な要素で能力が決定されており、「努力しても無駄なものは無駄」なのである。
この場合、「才能の有無」はやる前から決まっていて、そういう子に「努力すればできるようになる」と言っても虚しいだけだろう。むしろ「他の方面で頑張った方がいい」と的確にアドバイスするはずだ。
それでいいのである。何も世の中はスポーツだけで成り立っているわけではないのだから、遺伝的に才能のないものにこだわれば不幸が生まれるだけだ。それは趣味レベルにしておいて、別の方面に注力するのが合理的な考え方である。
問題はここからだ。もっと重要な話をここからしたい……。
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