メンタリストとかいう得体の知れない仕事をしているdaigoとかいう高額所得者が、生活保護やホームレスに対して差別的発言をしたり、彼らのために税金を払う気にならないというような発言をして袋叩きにされている。
私は大阪出身なので、この手の差別的発言に慣れている。
今でいうホームレスの人が乞食(厳密にはもちろん違う意味だ)と言われていたころ、それを見かけると「勉強せえへんとあんな風になるで」と言われたものだ。まだ子供だった私は、彼らが怠け者のせいであんな風になると思いこまされ、それを動機に勉強していた。
ただ、精神科医という職業を選んだ関係で、心の病を初めとするいろいろな理由があってホームレスや生活保護という状態になってしまうことを知って、差別的な思いは消えた(つもりでいるが内なる差別は残っているかもしれない)。
ただ、自称右翼の私にとって、生活保護を差別する(ホームレスの人にはきちんと生活保護を受けてほしい)のは、時代錯誤と思うようになっている。
以前対談した鈴木敏文氏によると、90年代になると人類の消費と生産が逆転したという。
これまでは生産性を上げることが企業の至上目的だったが、消費者の心理を刺激することが最重要課題だと。その戦略でセブンイレブンは大成功したわけだが、私はこれが事実なら、本質的な思考パターンを変えないといけないと私は考えている。
これまでは生産性を高めることや「働く」ことが正義とされてきたが、それが邪魔になるということだ。生産が余っているのに、生産性を高めたり、みんながまじめに働いたりすると、余計豊作貧乏がひどくなってしまう。
アリとキリギリスにしても、こんな童話を子供に聞かせるのでなく「アリは一生楽しみを知らずに死にました。キリギリスは冬がきてもモノ余りで飢えることなく、死ぬまで楽しんで暮らすことができました」と話を変えないといけない。
生産する人より消費する人のほうが社会に貢献しているし、消費力が国力となっている。中国が偉そうにするのも、その消費力を背景にしている。
このパラダイムでは生産をしないで消費をしてくれる生活保護受給者や高齢者はもっとも社会に貢献している人だし、むしろ崇め奉らないといけない。
若いくせに発想が古い人間が多いから30年不況がいつまでも終わらないのだろう。
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