「中抜き」ビジネスはどうして避けられないのか?
この五輪やコロナ禍を契機として「中抜き」という言葉が流行語になって
います。例えば、五輪のパート職について発注側は時給3500円分を払っ
ているのに、実際に勤務している人には最低賃金程度しか払われていないと
か、コロナ関連の療養中あるいは入国時の強制隔離の場合の弁当が、「1日
4500円」という予算が払われているのに、実際に出てくる弁当の価値は
どう考えても3分の1以下というような話がゴロゴロ転がっています。
五輪の予算については、個々のものは組織委が「何にいくら払ったのか
?」という個別の情報は、政府ではなく、法律上は単に1つのNGOに過ぎ
ないわけで、税務上も非営利団体ですから、詳しい情報公開は望めないと思
います。そうではあるのですが、様々なところで「中抜き」が行われている
らしい、という報道は大変に多くなっています。
これは大きな問題です。例えばですが、発注側が時給で3500円の予算
を用意しているとして、それが丸々勤務する人に行くのであれば、働く人は
安心ですし、モチベーションも高くなるでしょう。それ以前の問題として、
その分だけ優秀な人材が確保できます。発注者が国や地方公共団体であれば、
そのように金が直接的に労働者に行くようにすれば、納税者としては費用対
効果は最大になると考えられます。
モノの場合もそうです。厚生労働省が一食1500円で、療養者、入国時
隔離者に向けての弁当を用意するのであれば、対象者からの不満はグッと少
なくなると思いますし、それだけの金をかければ感染者の回復を早めるよう
な免疫力をつけるなど、健康面に良い影響のある食事を提供できるはずです。
ところが、そこに「中抜き」が発生して実際は3食4500円が、実は3食
1500円相当の弁当しか配られていないのであれば、対象者としては強い
不満を感じることでしょう。
給料や弁当といったものは、分かりやすい例ですが、もっと分かりにくい
例も含めて、今回のコロナ禍、そして五輪においては「中抜き」ということ
が、本当に流行語になるぐらい様々な箇所で指摘されています。では、どう
して「中抜き」が起きるのでしょうか?
2つ大きな理由があります。
1つは形式的なコンプライアンスの問題です。例えば、人を雇う場合に、
官公庁や五輪の組織委などが直接雇うとなると、様々な問題が生じます。特
に大きな問題は採用と解雇です。場合によっては、募集を公開して公正な選
考をしないと採用できないとか、どう考えても不適格な人物の場合に、直接
雇って直接クビにしてしまうと裁判とかで不利になって大トラブルになると
いうことを、役所にしても民間にしても常に恐れています。その場合に「中
抜き」されても人材派遣会社などを通す方が、彼らとしては楽だし、安心な
のです。
つまり、採用するのもスピーディに進むし、万が一の場合にはスパッとク
ビにしても、責任は派遣元が取ってくれるわけですから、派遣先としては、
コンプライアンス上の面倒から逃げられるわけです。つまり、中抜きされる
デメリットというのは、このコンプライアンスの問題を「丸投げ」できるサ
ービスを考えると、十分に見合うというわけです。
結果的に、来る人がそんなにモチベーションが高くなくても、そして一流
の人材でなくても、とにかくトラブルは全部派遣元の派遣会社が処理してく
れるので、「安心」だというわけです。仮に直接雇用して、その人が悪質な
クレーマーや、トラブル狙いの質の悪い組合的な人物であった場合の「リス
ク」を取るのはイヤということです。
弁当も同じです。とにかく食中毒を出してはダメだし、できればアレルギ
ー対応もしてほしい、しかも必要数を正確に用意して欲しいとなると、どう
しても「味はいいが、仕事の規模は小さい」中小の企業では対応できません。
かといって、大手の場合は値段が高くなる、そこで、外食の専門企業に頼む
のではなく、広告代理店などの仕切り屋に頼んで、そこで中抜きされる代わ
りに、実態としては中小に投げて数を揃えるというオペレーションになって
いると推察できます。
ここでも、コンプライアンスは最優先で、その上で数を揃えてくれればよ
く、品物のクオリティや、療養者、隔離者の満足度は二の次という構造があ
ります。そして、とにかく人の口に入るものですから、コンプライアンスが
最優先で、その料金として「中抜き」分を払うことは、発注側としては十分
に納得できるものだということです。(以下略)
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)