「都議選騒動に見る、日本の政治制度の構造的欠点」
総選挙の前哨戦と言われた東京都議選が終わりました。そもそも、全国で
行われる国政選択選挙は、東京とは構図が全く違うはずですが、どういうわ
けか、都議選で「与党が負けた」直後に行われる総選挙では、やはり与党は
苦戦を強いられるケースが多いようです。少し以前まで遡ると、次のような
歴史があります。
(1989年)
・都議選(7月2日)では、自民党が20議席減、社会党が23議席増
・敗因は、宇野総理の女性問題
・直後の参院選(7月23日)では、土井たか子ブームで、自民党が33議
席減、社会党が24議席増「マドンナ現象」「山が動いた」などと言われて
宇野政権は崩壊。
(1993年)
・都議選(6月27日)では日本新党が改選前2議席から推薦を含むと27
議席へ躍進。
・直後の総選挙(7月18日)では、日本新党、さきがけ、新生党が勝利、
これに社会、公明、民社が合流した野党連合による細川護煕政権が発足。
(2009年)
・都議選(7月12日)では民主党が20議席増、自民党は10議席減。
・直後の総選挙(8月30日)では、麻生太郎の自民党が181議席減、鳩
山由紀夫の民主党が193議席増となり、鳩山由紀夫政権が発足。
何ともドラマチックな歴史ですが、こうした事実を振り返ると、結局のと
ころ都議選は「有権者の気分を試す」だけの「ミニ国政選挙」だという印象
になります。そして、今回も同じようなストーリーが期待されている、そん
な雰囲気が漂っています。
現時点で、今回の都議選を振り返ってみると、結果としては
自公連合・・・・・・・・・・改選前48、改選後56
都民ファーストの会・・・・・改選前45、改選後31
ということで、都民ファーストの会は善戦したとされています。自公連合
はそう議席数127に対して、64以上を取って過半数確保は間違いないと
言われていた中では惨敗という評価になるようです。
さて、今回の選挙戦ですが、都民ファーストの会は、事実上小池百合子都
知事の率いる地域政党ですが、知事自身は入院して都議選には距離を置いて
いたわけです。過労だということですが、「コロナ禍対策と五輪問題に向き
合ってきたのだから」ということで、世論はこれに理解を示したのでした。
また「ペットロス」を嘆くという行動も共感されました。
その小池氏は選挙戦の終盤で突如復帰し、当初は自宅から「リモート勤
務」していたのが、投票前日には酸素ボンベを傍らに選挙運動を行い、その
姿が報じられたことで相当の同情票を稼いだようです。
一連の行動を通じて、小池氏は、選挙における政策論争には距離を置くこ
とに成功しました。自身がオリパラ開催都市の首長として開催を推進してき
た事実、コロナ禍対策で国よりも強めの規制を主張し、都財政を傾けてまで
補償を伴う規制を行なったことなど、小池都政への信任投票となる可能性は
あったのですが、結果的に実に巧妙に切り抜けた格好です。
最大の問題点は、都民ファーストの会として「五輪の無観客開催」を公約
として掲げていたことでした。仮に小池氏が選挙運動に全面的に関与してい
れば、これを主張することで、自公政権との軋轢が増したでしょう。ですが、
小池氏は静養することで結果的にこれを回避することができました。一方で、
それでも都民ファーストの会が「無観客」を公約にしていて、しかも善戦し
たことで結果的に五輪が無観客で開催されたとすれば、小池氏にはプラスに
なります。
自公政権のメンツは立てつつ、自分だけ政治的ポイントを稼ぐというウル
トラCが結果的に成立する可能性があるわけです。それ以前の問題として、
この間、ずっと知事としての公務を継続していれば、デルタ株による感染拡
大で毎日600から700という新規陽性者の数字と向き合わねばなりませ
ん。これも、静養することで回避できています。
つまり、コロナ対策も五輪問題も、うまく「かわし」ながら自らの政治的
影響力の誇示には成功したわけで、こうなるとその辣腕ぶりと言いますか、
運の強さのようなことに期待が集まるのも不思議ではないことになります。
(以下略)
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