89歳の元エリート官僚の暴走事故の公判がニュースになっている。
被告人は、車に何らかの異常があったと主張しているが、被害者家族の声を伝えるメディアが多く、その主張をふざけるなとか、言い逃れと断罪している。
金曜日の朝、自分がかかる病院の受診のため、車を運転していたら、私が敬意を払っている知的なコメンテーターも、警察がちゃんと調べているのだから、それは考えにくいというコメントをしていた。
言い方ははるかに上品だが、これほどのインテリの人が警察のいうことを素直に信じるのには驚いた。
推定無罪の原則もあったものではない。
診断基準を満たしていても、アルコール依存と決めつけて報じるわけにいかないというテレビ局が、有罪と決まったわけでないのに、警察が逮捕した途端に実名報道するのと似たものを感じた。ドライブレコーダーでボカスカ殴ったり、詐欺グループを取材している際も、犯人にモザイクをかけるのに、警察が逮捕すれば犯人扱いだ。
アメリカの60ミニッツなどでは、自分たちが犯人と思ったら、堂々とモザイクなしで報じる。訴訟社会で、間違いだったらいくら取られるかわからなくてもこの姿勢を貫く。まさに公共放送である。
少なくともドライブレコーダーの記録(もちろんそれを悪意で書き換えることは今の時代では可能だが)に残っているのだから、実質現行犯同然だし、それ以上に市民の安全を守るという観点では、逮捕前にその顔を公表したほうが市民も警戒できるし、犯人を見かけて逮捕に繋げることだってできる。
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