木遣から神田祭は始まりぬ

5/15 は神田祭の日です。

昔は9/15だったのですが、いつの間にか5月に移ってきました。

関ヶ原の戦いの前、家康はあちこちに戦勝祈願をしました。

結果、戦はあれだけの大群が動いたのに、たった一日で決着がついてしまいました。

その日が9/15。家康はこれぞ神のご加護と考え、神田神社を江戸の総鎮守に定め
現在の三井物産の本社脇にあった社を、江戸城の艮(うしとら)の方向に移したのです。

さて今年の祭りは陰祭り。大人しく行われました。

最初に社務所の前で木遣りが歌われ、その声と共に神官たちが動き始めます。

私がそれを見て最初に作った句が
木遣から神田祭は始まりぬ でした。

しかしこれでは見たままを言ってるな。もうちょっと見ている人の感情を表現できないものか
と考えました。

そこで「木遣哭き」に変えたのです。

木遣哭き神田祭は始まりぬ

「哭く」と云う言葉はかなり激しく嗚咽をあげるようなイメージがあるので、どうかなとも思ったのですが
静寂な境内に、突然あがる、あの高音は哭くと表現しても良いのではないか
そう考えました。

句会になると「木遣歌神田祭は始まりて」という句が出てきました。

同じ景を見ていたのですね。

「て」がどうかなと思ったのですが、先生の選句に入りました。

そうか、じゃぁ僕の句も入るな 言ってることは同じだから と思って待っているうちに選句は終了。

あれ?!僕の句が無い!

続いて先生から選句の説明に入ります。

「木遣歌神田祭は始まりて は『て』止めに傷があります」うん、そうだろう、そうだろう。

「『て』で止めるのは連句の第三の止め方。次々と句を展開させないといけないから
『て』で止めて『言いたいことは未だあるよ』と言う事を読む人に伝える目的があります」
(筆者駐 明智光秀の有名な連歌の第一句から第三句までを記述してみると
次のようになります。
ときは今あめが下しる皐月哉   (光秀)
水上まさる庭の夏山        (西坊)
花落つる流れの末をせきとめて (紹巴)   )

先生続けて「此処は、『未だあるよ』と告げる必要があるのか。『始まりぬ』で終えた方が
良いじゃないでしょうか」とのことでした。

さて一通りの解説を終えた後、僕の質問です。

「先生、『木遣り哭き』の句はは何処がまずいでしょう?」

「これは『哭き』では主観が強すぎます。擬人化が過ぎる。『どうだ面白いだろう』
と言っていて、川柳に近づいている。色濃い。もう少し薄い色で描いて欲しい。
単純に、淡々と、薄味にですね」とのこと。

どうやら僕の発想は川柳だったようです。

最初に作ったままで、直さない方が良かったようです。


木遣から神田祭は始まりぬ


季語は「神田祭」 5月です。


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